田原俊彦の現在の収入と最高年収は?年収2億円の噂は本当なのか

田原俊彦さんは、ドラマ「3年B組金八先生」でデビューし、近藤真彦さんや野村義男さんとともに「たのきんトリオ」として一世を風靡したジャニーズのアイドル。

「トシちゃん」の愛称で親しまれ、歌手としてもドラマ俳優としても大活躍しました。

歌手デビュー曲「哀愁でいと」は、79万枚の大ヒットとなり、その後も次々とヒット曲を飛ばし、オリコンチャート1位獲得12回、ベスト10ランクイン38曲という驚異的な記録を打ち立てました。

さらに第22回日本レコード大賞、最優秀新人賞や、第11回日本歌謡大賞、放送音楽新人賞にも輝き、すさまじい人気を博した歌手なんです。

俳優としても、「ラジオびんびん物語」や「教師びんびん物語」などで活躍し、名門私立小学校での熱血指導を描いた「教師びんびん物語Ⅱ」(フジテレビ)は、最高視聴率31.0%・平均視聴率26.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録しています。

現在はテレビで見かけることが少なくなりましたが、通算78枚目のシングル「ロマンティストでいいじゃない」をリリースし、全国ツアーを行っているそうです。

田原俊彦さんは、絶頂期だけでなく、現在もお金持ちであることは間違いないのですが、具体的な収入については報道されていません。

また、アイドル時代のお給料についても詳細は明らかにされていません。

この記事では、田原俊彦さんの過去の最高年収や現在の収入についても調べていきます。

田原俊彦の現在の年収と収入源は?

現在、歌手の田原俊彦さんは、新曲のリリースやコンサートツアーやディナーショーなどで多額の収入を得ていると噂されています。その年収は3000万円以上とも言われています。

田原さんをテレビで見かけることが少なくなった今、彼の収入源はどこからくるのでしょうか?

田原俊彦の主な収入源はコンサートやディナーショーだった

多くのファンがいる田原俊彦さんは、現在はコンサートツアーやディナーショーが主な収入源であると考えられます。

コンサートツアーのチケットは、全席指定で1枚8000円で、田原さんは61歳にもかかわらず、全国を回るツアーを8月から11月にかけて開催しています。その活力には驚かされますよね。

また、昨年は東京のウェスティンホテルや大阪のリーガロイヤルで、クリスマスディナーショーが行われました。

S席は44000円、A席は40000円で、360名程度が収容できる聖餐スタイル(丸テーブル)でした。

これらのディナーショーでの売上は、チケット販売に加え、会場費やお食事代、人件費などを考慮すると、一回あたり1324万円、二部制の場合は2648万円にも上る可能性がありますね。

田原俊彦の最高年収はいくらなの?

田原俊彦さんには最高年収が2億円という噂がありますが、本当なのでしょうか?

田原俊彦さんがバラエティ番組に出演した際に、視聴者から「今までの最高給料はいくら?」という問いが寄せられました。

MCの劇団ひとりさんは「教師びんびん物語の時では?」と尋ね、田原さんは「バブルの時に一番稼いだ」のが意外でした。

田原さんは「ジャニーズ事務所は給料制だったので、月給30万円だった。でも、衣食住には何の不自由もなかったし、歌唱印税で1千万単位の収入があった」と語り、スタジオには驚きの声が上がりました。

劇団ひとりさんが「月収の最高額は?」と質問すると、「年収で言えば2億」とさらっと答えていたのが印象的でしたね。

田原俊彦は現在の年収でポルシェを新車で購入していた

田原俊彦さんは車好きで、複数の車を所有されています。その中でも特に好きなのがポルシェで、何度も新車購入されるほどの愛車です。

彼はデートの際にも必ずポルシェに乗っていて、その愛車で大切な人とロマンチックな一時を過ごすようです。また、還暦祝いには2600万円もする真っ赤なポルシェを自分自身の贈り物として購入されたのだとか。

つまり現在でも、ポルシェを購入できるほどの年収があるということは間違いないようです。

田原俊彦はアイドル時代の給料はいくらもらっていた?

田原俊彦さんは、神奈川県横須賀市で生まれて育ちました。しかし、小学校に入学した頃に父親を亡くし、母親の出身地である山梨県甲府市に家族全員で引っ越したそうです。

母親は田原俊彦さんと姉、2人の妹の4人の子供を抱え、大変な生活を余儀なくされていました。

そんな厳しい生活を支えるため、田原俊彦さんは中学生の頃から「芸能界に入って家族を楽にさせたい」と考え、高校に進学した後、1976年に自分でジャニーズ事務所に履歴書を送りました。

しかし、返事がなかったため、直接ジャニーズ事務所に出向き、社長に直談判しめでたく入所。

それ以降、田原俊彦さんはジャニーズ事務所にとって大きな戦力となり、高校までの期間は毎週甲府から東京までレッスンに通いました。

田原俊彦のデビュー後の給料

1979年、ドラマ「3年B組金八先生」でデビューし、近藤真彦さん、野村義男さんとともに「たのきんトリオ」と呼ばれ、大人気となりました。

そして、1980年には歌手デビュー作「哀愁でいと」が75万枚を売り上げ、その後大ブレイクしました。田原俊彦さんは非常に多忙で、「365日働いて月収30万だった」と語っていました。

しかしながら、当時のアイドルはほぼ契約社員のような形式であったため、あまり給料が良くなかったようです。

田原俊彦さんは多くのCDをヒットさせたため、歌唱印税だけでも100万、1000万単位で、最高年収は2億円に達したと言われています。芸能界は本当にすごい世界だと感じます。

田原俊彦は豪邸の自宅を売却済み?

田原俊彦さんは向井田彩子さんと結婚し、二人の娘さんを育てています。そして向井田さんは結婚後は専業主婦として家庭に入り、芸能界から引退しました。

長女の可南子さんは芸能活動をしていて、次女については詳細が不明とされています。

田原さん一家の自宅は、1996年に建てられた土地100坪、地下一階、地上二階の豪邸で、額は3億円と言われています。

大きな家に住んでいた田原さん一家ですが、娘さんたちが大きくなり豪邸は必要なくなったため、2014年に売却しています。

田原俊彦と妻の自宅売却後の現在は?

現在は、田原さんと向井田さんは別居状態となっており、妻の向井田さんはタワーマンションに住んでいます。

向井田さんは2018年から自宅近くのバーでアルバイトをしていて、美貌も昔のきれいなままで注目されているそうです。

お店の常連客に対して、旦那さんの近況については全く知らないと話しているとのこと。

夫婦関係にはこのような形もあるので、娘さんたちが成長して夫婦形態が変わっていくのは自然なことなのかもしれませんね。

田原俊彦はなぜ事務所を独立したの?

田原俊彦さんは、ジャニーズ事務所に所属していた時に、近藤真彦さん、野村義男さんと「たのきんトリオ」を結成し、大人気になりました。

その後も多くのヒット曲やドラマに出演して大活躍しますが、33歳の時に突然ジャニーズ事務所から独立。

多くの人は、ジャニーズ事務所とのケンカ別れや不仲が原因だったと考えていましたが、2009年に発売された自伝「職業=田原俊彦」で独立について言及しています。

田原俊彦さんは、「ジャニーズ事務所はティーンエイジャーのための会社であるべき」と話し、自分自身も大人になったことから、居続ける場所ではなくなったと考えたそうです。

自伝のタイトル通り、「職業=田原俊彦」であり続けることを大切にし、タレントを辞めて裏方に回る選択肢はありませんでした。

また、当時は指導や管理職の可能性については考えていなかったと語っています。

田原俊彦のビッグ発言や独立の真相

独立後の田原俊彦さんは、苦しい時期や干されていた状況も経験しましたが、「あのまま残っていたら、今の田原はない」と振り返り、事務所のジャニー喜多川社長に感謝の気持ちを持っていることを伝えています。

また、餞別として退職金100万円をもらい、円満に退所したとも語られています。

最近では、田原俊彦さんだけでなく、ジャニーズから独立するタレントも増えてきていますよね。彼の復活に触発され、独立を決断した人も多いでしょう。

しかし、2019年9月には、前述したようにジャニーズ事務所との確執があったと思われる情報も出てきました。

独立の前年に中止されたという彼の単独コンサートや、長女の誕生発表会見にジャニーズ事務所の人間が姿を見せなかったといったエピソードがあることが報じられています。

この会見において、田原俊彦さんが発した「ビッグ」という言葉は大きな波紋を呼びました。

この言葉は、現在でもさまざまなコントなどでオマージュされ、田原俊彦さんのオリジナルだとは知らない人も多いかもしれません。

しかし、この発言が独立の原因となったわけではなく、むしろ干されるきっかけになったとされています。

当時の会見ではジョークとして受け取られ、あまり話題にもならなかったようですが、独立後の3月1日にこの発言が取り上げられ、大きなバッシングを浴びることになりました。

このようなマスコミの揚げ足取りに引っかかってしまったことにより、ジャニーズという後ろ盾がなくなった田原俊彦さんの人気が急落し、ライブの開催地も東京、名古屋、大阪の3か所に限定され、集客も大幅に減少。

後に彼自身が語ったところによると、この人気低迷の原因はジャニーズに干されたわけではなく、自分自身の能力不足にあったということです。

芸能界で活躍するためには、ジャニーズのような後ろ盾がなくなると、どれだけ厳しい世界かを感じますね。

田原俊彦のプロフィールを紹介

  • 名前:田原俊彦(たはら としひこ)本名同じ
  • 生年月日:1961年2月28日
  • 身長:175cm
  • 血液型:B型
  • 出身地:山梨県甲府市
  • 最終学歴:山梨県立甲府工業高等学校
  • 所属事務所:ジェイブレイブ

まとめ

田原俊彦さんは、かつてマスコミを敵にまわしてテレビから距離を置いたことがありましたが、彼は約10年前のある番組で真相をすべて語りました。

マスコミを敵に回した理由は、彼の発言にあったとされたのですが、田原俊彦さんは大切な家族を取材から守るために会見を行ったのです。

その際、彼は感情を抑えつつ答えを誠実に伝えていたのですが、切り取られた一言で大バッシングを受けてしまったそうです。

その後、彼は「挑んではいけないと痛感した」と語っています。

現在、田原俊彦さんは家族を守りながら、2022年6月に通算78枚目のシングル「ロマンティストでいいじゃない」を発売し、全国ツアーもするなど、精力的に活動されています。

田原俊彦であり続けるのはファンのため、ずっと支えてきてくれたファンを絶対裏切ることはできないし、ファンの前では常に『THEアイドル』田原俊彦であり続けたいと思っていると語っています。

「ロマンティストでいいじゃない」は、松井五郎作詞、青葉紘季&大山聖福作曲、船山基紀編曲による極上のエンターテインメントです。豪華で華やかなサウンドに乗せて、大人の余裕が醸しだすロマンティック・ワンダーランドが広がっています。

今後も、田原俊彦さんの活躍に期待が高まりますね。